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東京地方裁判所 昭和34年(行)102号 判決

原告 持田勝郎

被告 国 外二名

主文

一  原告と被告ら三名との間において、別紙第一ないし第三物件目録記載の各土地が原告の所有であることを確認する。

二  被告国は、原告に対し、別紙第一物件目録記載の土地について静岡地方法務局下河津出張所昭和三四年八月二一日受付第八三二号をもつて、同第二物件目録記載の各土地および同第三物件目録記載の(六)ないし(九)の各土地について同出張所昭和二五年七月一九日受付第一、二六七号をもつて、同第三物件目録記載の(一)ないし(五)および(一〇)の各土地について同出張所同年三月一六日受付第四〇九号をもつて、いずれも自作農創設特別措置法第三条による買収を登記原因として被告国(農林省)のためになされた所有権取得登記の各抹消登記手続をせよ。

三  被告山本利八、同山本勇は、原告に対し、別紙第一および第二物件目録記載の各土地につき静岡地方法務局下河津出張所昭和三四年八月二一日受付第八三三号をもつて、同第三物件目録記載の各土地につき同出張所昭和二五年八月一〇日受付第一、三四三号をもつて、いずれも自作農創設特別措置法第一六条による政府売渡しを登記原因として訴外山本貞吉のためになされた各所有権取得登記ならびに同第一および第二物件目録記載の各土地につき同出張所昭和三四年九月一〇日受付第九一一号をもつて同被告らのためになされた相続による所有権取得登記の各抹消登記手続をせよ。

四  被告山本利八は、原告に対し、別紙第三物件目録記載の(八)の土地につき静岡地方法務局下河津出張所昭和三四年七月二七日受付第七二三号をもつて同被告のためになされた、相続による所有権取得登記の抹消登記手続をせよ。

五  被告山本利八、同山本勇は、原告に対し、別紙第一ないし第三物件目録記載の各土地を引き渡せ。

六  訴訟費用は、被告らの負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告の求める裁判

主文同旨の判決および引渡しを命ずる部分についての仮執行の宣言。

二  被告国の求める裁判

原告の請求を棄却する。

原告と被告国との間に生じた訴訟費用は、原告の負担とする。

三  被告山本利八、同山本勇の求める裁判

原告の請求を棄却する。

第二原告の主張

一  別紙第一ないし第三物件目録記載の各土地(以下単に本件土地ということがある。)はもと原告の所有であつたが、訴外静岡県知事は、これを自作農創設特別措置法(以下単に自創法という。)第三条第一項第一号の不在地主の所有する小作農地として、昭和二四年六月三〇日、買収の時期を別紙第一および第三物件目録記載の各土地については昭和二三年七月二日、同第二物件目録記載の各土地については昭和二二年一〇月二日とそれぞれ定めて、自創法第九条に基づく買収令書の交付にかわる公告をして買収し(以下単に本件買収処分という。)、自創法第一六条により、売渡しの時期を昭和二三年七月二日と定めて訴外亡山本貞吉に売り渡した(以下単に本件売渡処分という。)。

そして別紙第一物件目録記載の土地については静岡地方法務局下河津出張所昭和三四年八月二一日受付第八三二号をもつて、同第二物件目録記載の土地および同第三物件目録記載の(六)ないし(九)の各土地については、同出張所昭和二五年七月一九日受付第一、二六七号をもつて、同第三物件目録記載の(一)ないし(五)および(一〇)の各土地については同出張所昭和二五年三月一六日受付第四〇九号をもつて、前記買収を登記原因とする被告国のための所有権取得登記がそれぞれなされ、次いで別紙第一および第二物件目録記載の各土地については前記出張所昭和三四年八月二一日受付第八三三号をもつて、同第三物件目録記載の各土地については同出張所昭和二五年八月一〇日受付第一、三四三号をもつて、前記売渡しを登記原因とする訴外山本貞吉のための所有権取得登記がそれぞれなされ、さらに右山本貞吉が昭和二七年一二月二二日に死亡し、被告山本両名が同日同人の遺産を相続したため、本件土地のうち別紙第一および第二物件目録記載の各土地については、前記出張所昭和三四年九月一〇日受付第九一一号をもつて、右相続を登記原因とする被告両名のための所有権取得登記がなされ、また、同第三物件目録記載の(八)の土地については同出張所昭和三四年七月二七日受付第七三三号をもつて同じく右相続を登記原因として被告山本利八のための所有権取得登記がなされている。

二  しかしながら、本件買収処分には以下に述べるような違法があり、それは重大かつ明白なかしであるから同処分は無効なものであり、したがつて右買収処分が有効なことを前提とする本件売渡処分もまた無効である。

(一)  本件買収処分には、本件土地が農地でないのにこれを農地と認定した違法がある。

本件土地および本件土地に隣接し本件土地とともに買収ならびに売渡処分に付された静岡県加茂郡東伊豆町白田字馬場三二〇番の一八田二三歩、同番の一九田一五歩、同番の四七田四歩の三筆の訴外地は、昭和一六年八月一一日、原告が訴外杉山幸次郎より買い受けたものであるが、これらの土地は東伊豆町を東西に貫流する白田川の川岸地で、付近一帯の土地とともに永年にわたり同川の氾濫によつて川床地と化していたもので、前記三筆の訴外地は後に述べるようにその後耕作せられて水田となつたが、これを除く本件土地は、公簿上の地目は次表のとおり畑、田等となつているものの、その現況は原告がこれを買い受けた当時はもちろん、その後引き続き現在にいたるまで次表現況欄記載のとおりの荒蕪地、宅地、林地等であつて、本件買収処分において農地かどうかの判断をすべき基準日である自創法が施行された昭和二一年一一月二九日当時においてはもとよりかかる状況を失わなかつたものである。

土地の表示

(地番のみ)

面積

買収当時の地目

現在の地目

現況

三二〇の一の八

一二

荒蕪地

三二〇の三一

一四

原野

三二〇の五三

〇〇

三二〇の五六

二〇

三二〇の五

二二

宅地

三二〇の六

二一

林地

三二〇の一五

荒蕪地

三二〇の一六

林地

三二〇の一七

三二〇の四四

原野

三二〇の四五

二〇

三二〇の五四

〇〇

荒蕪地

三二〇の五五

〇〇

三二〇の四

二二

右のうち、現況荒蕪地の状況は、その地質は砂礫砂地であり、芦や女竹が簇生し、林地には桜の大木をはじめ庭木用の桃、柿、檜垣その他の雑木が簇生し、宅地部分には建物が存在し、これらの土地がなにびとからも肥培管理され、作物が栽培され、耕作された事実はないのである。

このように本件土地は農地でなかつたのであるが、後にのべるように当時原告が本件土地についての納税管理を委託していた被告山本両名の先代山本貞吉は、地元静岡県加茂郡城東村農地委員会に対し、これを農地である旨不実の申告をし、また同農地委員会においてもこれを誤つて農地と認定した結果、本件買収処分がなされるにいたつたのであるが、本件買収処分が前記のように買収令書の交付にかわる公告によつてされたため、原告は買収処分があつた事実を知らず、本件土地内に温泉を試掘しようと思いその準備として昭和二五年六月二三日訴外亡宮城彦治を代理人として城東村役場に出頭して本件土地について調査させた結果、はじめて本件土地が農地として買収された事実を知り大いに驚き、同年六月二五日城東村農地委員会に対し農地買収除外申請書を提出して異議を申し立てたところ、同農地委員会では現地を再調査することとなり、同年七月二三日現地において原告の代理人宮城および山本貞吉立会いの上、城東村農地委員らが調査した結果、本件土地が農地でないことが確認され、その場において種々協議の結果、前記三筆の訴外地を含めて本件土地を原告と右山本貞吉の二人で折半する旨の合意が成立し、同農地委員会においては同年九月六日開催の同農地委員会の本会議において右合意を承認する旨の決定をするにいたり、そのため別紙第三物件目録記載の土地一〇筆についてのみ昭和二五年八月一〇日右山本貞吉に対し売渡しの登記がされ、同第一および第二物件目録記載の各土地については売渡しの登記を留保し、右折半案の具体化をまつことになつていたのである(もつとも、本訴提起後において右第一および第二物件目録記載の土地についても前記のように売渡しの登記がなされるにいたつた。)。

以上の事情からみても明らかなように、本件土地が農地でないことは明白となつていたのであるが、被告山本両名は本件買収処分当時すでに農地であつたかのように見せかけるため昭和三四年九月頃多数の人夫を派して本件土地上の芦、女竹、桜その他の雑木を伐採してところどころに礫をもつて円形や多角形の変則的な形の土地を形成して豆などを蒔き、農地のごとく装わせたが、その土質、その形、その付近の状況から現在においてもとうてい肥培管理されている農地とは認められず、現に被告山本両名は農耕地を装いながらも、実は本件土地内に温泉を掘さくしてその私欲をみたそうとしているのであつて、この点よりするも本件土地が農地といえるものではないことは明白であるといわなければならない。

(二)  つぎに、本件買収処分には本件土地が小作地ではないのにこれを小作地と認定した違法がある。

前記のように、本件土地は前記山本貞吉がその全部について小作権を有するものとして買収されたのであるが、前述のように本件土地は農地ではないからこれを小作させるということはありえないことであるのみならず、原告は右山本に対し本件土地についての納税管理を委託したことはあるけれども、同人に小作させたことは全くなく、したがつて、同人より小作料を徴収したこともないのである。同人は元来大工職が専業であつて、農業に精進していたものではなく、本件土地を耕作したこともないのに、本件買収処分に先き立つてなされた農地の現況調査に当り、原告所有の土地につき五畝歩を畑として小作しているかのように申告しているが、右小作の権限はないのみならず、右五畝歩は本訴の対象とはなつていない現在水田として耕作されている前記三筆の訴外地に該当し、実面積は三畝歩で、右申告当時は全部草生地であり、水田ではなかつたものである。右のごとく同人は元来本件土地および訴外地について適法な小作権限もなく、しかも本件土地についてはなんら小作申告もしていないのに、昭和二三年七月二日にいたり、本件土地および前記訴外地合計一七筆の土地(公簿上の面積二反五畝一三歩、事実上の面積四反歩強)全部について適法に小作しているもののように偽つて城東村農地委員会にその売渡しを受ける申込みをしたところが同農地委員会は、なんら調査もしないで同人の右申込みを一方的に容認し、同人が本件土地全部について小作権を有するものと認めてこれを買収したのである。

(三)  以上のとおり、本件土地が農地でもなく小作地でもなかつたことは明らかであり、それを農地と認め、あるいは小作地と認めてした本件買収処分には重大かつ明白なかしがあるものというべきである。およそ戦後における農地改革のために施行された農地に関する法令の適用についてはその適用を誤りあるいは人情上現状調査に手心を加え、地元農地委員会管轄地内の地方人の利益を偏重して、いわゆる農地、小作地の認定に行過ぎの事実があつたことは否定できない顕著な事実であつた。

本件買収処分における農地の認定、小作地の認定もその例にもれず、それが必ずしも情実にとらわれたものとはいえないにしても偏重の色彩まことに濃厚であり、その行過ぎが甚だしいといわなければならず本件買収処分の無効であることは明白である。

そうだとすれば、本件土地の所有権は依然として原告に帰属するものというべきであるから、原告は第二の一に記載したように、被告らに対し、その所有権の確認と前記各登記の抹消登記手続を求め、かつ、被告山本両名は現に本件土地を占有しているので、同被告らに対してその引渡しを求める。

三  被告山本両名の抗弁に対する答弁

(一)  被告山本両名の取得時効の主張中、時効期間の起算日および占有の開始につき善意かつ無過失であつたとの点は、いずれも争う。

被告らの先代山本貞吉が本件土地を所有の意思をもつて占有を始めたのは、買収令書が原告に到達したとみなされた前記昭和二四年六月三〇日、あるいは少なくとも右山本貞吉が本件土地売渡代金七一〇円八五銭を納付した昭和二四年一月二〇日であるから、時効期間も同日から起算すべく右被告ら主張のように売渡しの時期から起算すべきものではない。また山本貞吉は、前記のように、本件土地が農地でもなく小作地でもないのに、農地で小作地であると虚偽の申告をしてその売渡しを受けたものであるから、占有の当初において悪意であり、少なくとも過失があつたというべきである。かりにそうでないにしても前記のように、昭和二五年七月二三日における現地調査の際に、それに立ち会つた右山本貞吉は本件土地が農地でないことを確認し、本件土地が原告の所有に属すべき土地であることを知つたのであるから、同日以降は悪意の占有であり、少なくとも過失のある占有である。したがつて被告両名の主張する時効が完成することはありえない。

(二)  (時効中断の再抗弁)

仮に被告山本両名主張のように取得時効の期間が一〇年であるとしても原告の代理人訴外持田良吉および訴外杉山勇はその時効期間満了前である昭和三四年一月一四日被告山本利八に対して本件土地の返還を求め、また、同月一八日には右持田良吉が被告山本勇に対して前同様本件土地の返還を求め、各本件土地の返還を催告し、続いて昭和三四年五月七日静岡地方裁判所下田支部に本件土地返還の農事調停の申立てをし、それが同年七月六日不調となつたのち同月二四日本件訴訟を提起したものであるから、時効は、いずれも昭和三四年一月一四日あるいは同月一八日の催告により中断されている。したがつて被告山本両名の時効による本件土地所有権取得の主張は理由がない。

第三被告国の主張

一  原告主張の第二の一の事実は認める。

二(一)  同二の(一)の事実のうち、本件土地の本件買収処分当時および現在の地目が原告主張のとおりであること、原告主張の三筆の訴外地が原告の所有であつたが、本件土地と共に買収売渡処分に付されたことは認める。その余の主張のうち本件土地の現在の状況については知らないが、本件買収処分がなされた当時農地ではなかつたとの点は否認する。当時の現況は現在の公簿上の地目どおりであつた。すなわち本件土地は相被告山本両名の先代山本貞吉に売り渡されたのち、同人が死亡した昭和二七年一二月二二日以後は人手不足で一部耕作を放棄し、その部分に芦や女竹が繁茂していたこともあり、また第三者に一部を耕作させていたこともあるが、自創法第三条に基づく買収処分の要件を充足しているかどうかの判断の基準日と解すべき本件買収の時期たる昭和二三年七月二日(別紙第一および第三物件目録記載の土地)、または、昭和二二年一〇月二日(第二物件目録記載の土地)当時における本件土地の状況は、三二〇番の五と三二〇番の五四の土地にまたがり原告主張のごとき家屋が存在していたが、当時これは農機具の置場として使用されていたもので、農地に付随した単なる物置にすぎなかつたのであり、また、本件土地内に桃、柿、みかん、檜葉垣、桜、漆、櫟、柳、松等が生えていたが、果樹は当時畠の中に植え込まれた苗木であり、いずれも独立した取引価値を有するものではなく、また、檜葉垣は小川に沿つて生えていたもので、農業経営にはなんら差し支えがなく、その余の樹木も耕作地中に散立していた程度であり、さらに、芦等の簇生していた場所は主として畠の畦畔部分であつて、本件土地全体としては農地であつたのである。城東村農地委員会は、本件土地の買収に当り、前記状況を勘案し、いずれも自創法第三条にいう農地と認定して昭和二三年六月六日および同年七月三〇日にそれぞれ本件土地の買収計画および売渡計画を定めたもので、そこには非農地を農地と誤認して買収手続を進めたという違法は存在しない。

(二)  同二の(二)の事実のうち、被告両名の先代山本貞吉が昭和二三年七月二二日本件土地および訴外地三筆の合計一七筆の土地を小作しているものとして城東村農地委員会に買受けの申込みをしたことは認めるが、本件土地が同人の小作地ではなかつたとの点は否認する。

(三)  同二の(三)の主張は争う。かりに原告主張のように本件土地を農地と認定したことが誤りであるにしても、前記のごとき状況のもとにおいてはその認定の誤りは重大かつ明白なかしとはいうことができないから、本件買収処分は単に取り消しうるにとどまり、当然無効とすべきものではない。

三  かりに原告主張のように本件買収処分が無効なものであつたとしても、相被告山本両名は、本訴において、昭和二三年七月二日より一〇年目にあたる昭和三三年七月一日の満了をもつて、本件土地を時効により取得した旨の主張をしており、これが認容されるとすれば、原告は被告国に対し本件土地所有権を主張しえないことになるから、この点からも原告の被告国に対する請求は排斥を免れない。

第四被告山本両名の主張

一  原告主張の第二の一の事実は認める。

二  同二の(一)の事実のうち、本件土地の買収当時および現在の公簿上の地目が原告主張のとおりであること、原告主張の三筆の訴外地が原告の所有であつたが本件土地とともに買収売渡処分に付され、それが現在水田として耕作されていることは認めるが、本件土地が農地でないとの点は否認する。

本件土地の買収当時の現況は、現在の公簿上の地目どおりであつた。すなわち、本件買収売渡地合計一七筆は、もとは東伊豆町白田部落民が分耕していた農地であつたが明治大正の水害のため荒れてしまつた。しかし、作土は依然とし存在し、農地としての生命は失われていなかつたので、被告山本両名の先代山本貞吉が訴外横山照蔵の助けを借りて農地に復旧させて耕作し、いも、とうもろこしなどを作つていたもので、本件買収処分をするについて、もし、これを自創法第三〇条の未墾地として買収したとすればかえつて実状に反する状態にあり、農地と認定せざるをえなかつたものである。

原告は本件土地の各筆毎にその現況をあげて農地でないと主張しているが、本件土地の公図上の境界と現況とは必ずしも一致せず、たとえば、本件土地中三二〇番の五五とそれに隣接する訴外地三二〇番の三四、同三二〇番の一の七、同三二〇番の一の六、同三二〇番の三七等の土地との公図上の境界線は複雑多岐であり、その他三二〇番の四五、三二〇番の四四、三二〇番の一五、三二〇番の一六等の境界も公図と現況は一致しない。

これらの事実からみても、公図面上の一部を指摘してそれが荒蕪地であるとか林地であるとしてその農地性を否定するのは社会通念上妥当でなく、本件土地全体を一群一体としてその農地性を判定すべきである。元来農地には可耕地のほかに、草生地、畦畔、墹敷、石敷、小家敷等の不可耕地が内在しまたは外在するのが普通であり、この場合右の不可耕地も可耕地に吸収され農地を形成するのであつて、現に静岡県加茂郡下においても畑地一畝歩外一畝歩草生地という農地が存在する例が存するのである。本件土地は、その一部分に砂石等が不定形に存在したとしても、全体からみて農地たる形態を有していたのであり、また本件土地内に肥溜が存在することもその農地性を決定づけるものであつて、実際に本件土地の一筆調査のときこれを担当した当時の農地委員である訴外山本保は前記山本貞吉に隣地との境界を指示させてその部分にコンクリートを打ち込み、本件土地の全域をはあくした上、それが全体にわたつて耕作してあることを現認し、かつ、一部耕作されていない部分についてもこれを復旧可能な農地であると認め、右山本貞吉に対し、本件土地全部の買受申込みをさせたのである。

なお、原告が宅地として主張する部分については、同地上に存在する建物は、本件買収処分当時道もない田圃の中に小石を並べた上に他からかりに移築した電燈の設備も、井戸も、生活のための炊事場もない建物で、農具や農作物の置場として利用されていたものであり、かかる建物の状況、用途のほかその敷地部分の形状、範囲が明確でないこと、その占める面積も本件土地全体からみればきわめて小部分であることからみればこれを独立した宅地と考えるべきではなく、いわゆる小家敷として農地である本件土地の一部を構成するものというべきである。

また本件土地中に存在する石堤敷は、水路上にあり、国有地であるから、買収売渡しの対象地ではなく、したがつて、本件土地の農地性の判定の対象とはならない。

以上のように、本件土地は全体として農地であつたのであり、このような土地を農地と認定したからといつて自創法第一条の精神に反するものではなく、かりに非農地と認むべきものであるとしても、少なくともこれを農地と認定したことをもつて重大かつ明白な違法ということはできない。

(二) 同二の(二)の事実について。前記山本貞吉が昭和二三年七月二二日本件土地および訴外地三筆の合計一七筆の土地を小作しているものとして、城東村農地委員会に対してその買受けの申込みをしたことは認めるが、同人が本件土地について小作の権限を有していなかつたとの点は否認する。同人は、本件土地に賦課される税金や農業会費等を負担する代償として本件土地の小作を原告より許されていたものである。このことは、その納入証を現に被告両名において所持していることからも明らかである。

(三) 同二の(三)は争う。

三  時効取得の仮定抗弁および時効中断の再抗弁に対する主張

(一)  かりに、原告主張のように本件買収売渡処分が無効であるとしても、本件土地は前記のように昭和二三年七月二日を売渡しの時期として被告国より被告山本両名の先代山本貞吉に売り渡され、かつ引き渡されたもので、右貞吉としては、それが有効であることを確信し、同日より所有の意思をもつてその占有を始めたもので、占有の始め善意、無過失であり、以後平穏かつ公然にその占有を継続し、昭和二七年一二月二二日同人が死亡した時からは、その遺産相続人である被告山本両名がその占有を承継し、右貞吉同様善意無過失平穏公然にその占有を継続し、すでに昭和三三年七月二日の満了をもつて、一〇年を経過した。よつて被告両名は時効により本件土地所有権を取得したものであるから、本訴において右時効の利益を援用する。

かりに時効期間を本件土地の売渡しの時期である昭和二三年七月二日から起算すべきでなく右貞吉が本件土地売渡通知書を受領した直後である昭和二四年一月一日または本件土地売渡代金を納付した日の翌日である昭和二四年一月二一日から起算すべきものであるとしても、原告の本訴提起前に一〇年の取得時効の期間が満了している。

(二)  原告の時効中断についての主張のうち昭和三四年一月一四日あるいは同月一八日に訴外持田貞吉や同杉山勇が被告山本両名を訪問し、本件土地の返還を求めた事実は否認する。原告主張の日にその主張のごとき農事調停が申し立てられ、その主張の日に不調になり、かつ、本訴が提起されたことは認めるが、その余の時効中断の主張は争う。なお農事調停の申立てをした場合において、それが不調になつた日より二週間以内に訴を提起しなければ時効中断の効力を生じないところ、原告の本訴提起は右二週間の期間が徒過したのちになされているから、時効中断の効力はない。

四  権利自壊の仮定抗弁

本件土地は現在被告山本両名において平穏公然に耕作している農地であるが、これをもし本件買収売渡処分が無効であるとして原告に返還すべきものとすれば、前記のごとく原告の住所は東京にあるのであるから、結果的には不在地主の所有する農地を作り出すことになり、農地法第六条に定める不在地主の小作地等所有禁止の趣旨に反し、また、山本貞吉の相続人として本件土地を現に耕作している被告山本両名の耕作権を不当に侵害し、同法第二〇条に定める知事の許可なき農地賃貸借契約解除の禁止の趣旨に反し、農地法本来の精神に反する状態を生じさせることになるから、原告の権利はもはや自壊してその行使は許されず、本訴のごとき請求は許されないものといわねばならない。

第五証拠関係〈省略〉

理由

第一当事者間に争いのない事実

別紙第一ないし第三物件目録記載の本件土地と原告主張の三筆の訴外地がもと原告の所有であつたところ、訴外静岡県知事は昭和二四年六月三〇日これらの土地を自創法第三条第一項第一号により、買収の時期を別紙第一および第三物件目録記載の各土地については昭和二三年七月二日、同第二物件目録記載の各土地については昭和二二年一〇月二日と定めて同法第九条に基づく買収令書の交付にかわる公告をして買収し、同法第一六条により売渡しの時期を昭和二三年七月二日として訴外亡山本貞吉に売り渡したこと、本件土地について原告主張のごとく被告国及び山本貞吉のために買収売渡処分に基づく各所有権取得登記がなされていること、右貞吉は原告主張の日に死亡し、被告山本両名がその遺産を相続し、原告主張のごとく同被告らのために本件土地中の一部に相続による所有権取得登記がなされていることおよび、被告山本両名が現に本件土地を占有していることは当事者間に争いがない。

第二本件買収処分の効力

一  原告は、前記本件土地の買収処分は、農地でないものを農地と誤認し、また小作地でないものを小作地と誤認してなされた違法があり、しかもそのかしは重大かつ明白であるから、右買収処分は当然に無効であり、したがつて右処分が有効であることを前提とする上記山本貞吉に対する本件土地の売渡処分も無効である旨主張するに対し、被告らはこれを争うので、以下においてこれらの点について判断する。

二  本件土地が農地であるかどうかの判断をするについては、本件買収処分の対象となつた土地の具体的範囲について当事者の主張が必ずしも一致していないので、まずこの点を確定することが必要であるが、公文書であるから真正に成立したと推定される甲第七号証(ただし、原告と被告山本両名の間ではその成立に争いがない。)と当裁判所の検証の結果によれば、本件土地の公図と現況は後に述べるように白田川の氾濫に伴う形状の変化により一致しない点が多く、本件土地各筆間の具体的な境界が全く不明確であることはもちろん、隣接地との境界、すなわち買収に係る本件土地の範囲自体についてすら明確でなく、特に本件土地の東北側の白田川に沿う部分および東南側の境界が不明であつて、本件にあらわれた証拠のみからはこれらの点を確定することが不可能であり、他方証人山本保の証言によれば、本件買収処分にあたつては、各筆の土地が現地のどの部分にあたるかを特定することなく(かようなことは実際上きわめて困難であつたと考えられる。)後に述べるように原告から本件土地および原告主張の訴外地三筆の原告所有土地全部の管理を依頼されていた前記訴外山本貞吉が現地において右土地の全範囲として指示するところに従い、その範囲内の土地を一括してこれを原告所有土地の全部と認めて買収計画を定め、かつ、買収処分および売渡処分がなされたことが認められるのであるから、本件買収処分の効力に関しその対象土地が農地であるかどうかを判断するについても、結局右方法によつて被告国が原告の全所有土地と認めて買収し、かつ、売り渡した部分の土地についてその農地なりや否やを判断するのほかなく、またこれをもつて足りるというべきである。なお原告は、右買収対象土地中三筆の訴外地については、一応残余の本件土地と区分してこれを特定しうることを前提とし、その農地性を争うことなくこれを本訴訟の目的から除外し、被告らもあえて右区分の可能性を争うことなく、現地についても右三筆の訴外地と残余の本件土地との境界を争つていないので、以下においては上記山本証人の証言および検証の結果と弁論の全趣旨によつて上記方法により被告国が買収した全土地のうち三筆の訴外地を除外した残余の土地の範囲と認められる別紙図面ABCDEFGHIJKLMNOQAの各点を同図面表示のごとく結ぶ線をもつて囲まれた部分の土地を本件土地に相当するものとして、その農地性の有無を判断することとする。

三(一)  成立に争いのない甲第一号証の一ないし一四、証人杉山幸次郎の証言により真正に成立したと認める甲第四号証、同証人および証人杉山勇、同持田良吉の各証言ならびに検証の結果をあわせると、次の事実を認めることができる。すなわち、本件土地および訴外地三筆は、古い時代においては畑地であつたが、明治および大正年間における度重なる白田川の氾濫によつて畑地は潰廃して河原と同様の状態になり、大小さまざまの石塊が地面に埋没散在し、その間にはよしや雑木、雑草が一面に生い茂り、昭和一一年頃訴外杉山幸次郎がこれらの土地を買い受けるまでの間は、本件土地の西南隅に一部畑らしい部分が存在していたほかは、誰からも耕作されることなく、多年にわたつて荒地として放置されていた。ところで右杉山は、前記昭和一一年頃右土地を将来整地して温泉を掘り、貸別荘地として利用するつもりで買い受け、翌昭和一二年六月までの間に代金全部の支払いを了してその所有権移転登記を経由し、みずから古材を求めて別紙図面(い)の位置に現存の間口七・四五米、奥行五・三米の木造瓦葺平家建の建物一棟(以下本件建物という。ただし現在台所、便所として使用せられている部分はトタン葺であり、また現在物置として使用されている部分は後に右杉山以外の者によつて付け加えられたものである。)を建築し、時々右建物に宿泊して本件土地の整理に着手し、家のまわりのよしや雑木、雑草を抜きとり、本件土地の南西側に流れる小川に沿つて約一間間隔で数十間にわたつて金檜葉(ひば)を植栽し、本件建物の周囲や本件土地内にある旧堤塘(別紙図面(へ))の南西部側の部分に桃、梅、柿、杉、もみじ、桜、孟宗竹などの樹木を植え、また温泉掘さくについての許可を得る等、本件土地をもつぱら上記目的に利用するための準備を行なつていたところ、たまたま製薬業を営んでいた原告の父訴外持田良吉が、犬の尿から強心ホルモンを抽出する試験的研究のための犬の飼育地として適当な土地を物色していた折柄、前記土地の存在を知つて、温泉熱を利用して犬尿の乾溜をするにも便利であると考えてこれを買い受けることとし、昭和一六年八月前記杉山から右土地を買い受けるとともにこれを原告の所有として、その名義に所有権移転登記をした。しかして右持田良吉は、本件土地を上記目的に利用するため杉山から本件土地の温泉試掘権を譲り受けて温泉掘さくを試みようとしたが、間もなく大東亜戦争が起り、資材不足等の事情のため温泉掘さくを断念し、昭和二五年頃まで本件土地を放置しておいた。このように認定することができ、他に右認定を左右する証拠はない。してみると、本件土地は、きわめて古い時代においては農地であつたけれども、その後は荒蕪地となり、次いで前記のように杉山幸次郎が本件土地の所有権を取得したのちはその一部は整地され、植樹されて半ば宅地化するにいたつたが、原告による所有権取得後はそれも放置されたままとなり、後述のように訴外山本貞吉がその一部を耕作するまでの間は、なにびとからも再び耕作されることなく多年にわたつて右の状態が継続していたのであるから、右土地は、かかる客観的状態の変化に伴い、農地、すなわち耕作の目的に供される土地たる性質を失い、非農地と化するにいたつたものといわなければならない。

(二)  そこで次に、本件土地がその後これにつき買収計画が定められた昭和二三年六月六日まで(原告は農地であるかどうかの判断の基準日は自創法が施行せられた昭和二一年一一月二九日であると主張し、被告国は買収の時期たる昭和二二年一〇月二日または同二三年七月二日であると主張するが、農地であるかどうかは原則として当該土地につき買収計画が定められた時を基準としてこれを判断すべきものである。しかして本件土地につき買収計画が定められた日が上記のとおりであることについては、被告国のその旨の主張を原告が明らかに争わないので、これを自白したものとみなすべきである。)の間に、再び耕作の目的に供される土地となるにいたつたかどうかをみるに、前掲証人杉山幸次郎、同持田良吉の各証言によると、右杉山は本件土地および三筆の訴外地を買い受けるとともに、地租等の公租公課を納付する必要上被告らの先代前記訴外亡山本貞吉を納税管理人と定め、同人に右納税等に関する事務を委任し、原告の父持田良吉も杉山から右土地を買い受けるとともに引き続き右訴外人を納税管理人として同様の事務を委任したこと、原告はもちろん右持田良吉も右土地から遠く離れて東京に居住し、かつ、同土地を買い取つた後においても直ちにこれを利用することができなかつたため、右土地を訪れることもなく放置しておいたことを認めることができ、他方証人秋永能雄、同山本保、同横山照蔵、同横山嘉吉の各証言によれば、原告から納税管理人としての事務を委任せられた上記山本貞吉は、本職は大工であるが、傍ら農耕をも行なつており、前記原告からの受任当時は大工仕事もほとんどなく、主として小規模な農耕に従事していたところ、戦時中から戦後にかけて一般に食糧難で、開墾可能な土地は努めてこれを開墾するという情勢であつたため、右貞吉も、後述のように原告から格別の承諾を得ないままで納税管理を依頼されていた前記三筆の訴外地および本件土地の一部を開墾して畑となし、麦、芋、疏菜類等を栽培するにいたつたことを認めることができ、他にこれが反証はない。これによれば、本件土地の一部が前記買収計画樹立当時においてすでに農耕地となつていたことは明らかであるが、このことはもとより当然に本件土地に対し全体として農地たる性質を取得せしめるわけのものではなく、これを決定するためには、さらに右の農耕地の範囲がどの程度のものであつたか、右耕作の状況がどうであつたか等の事情を検討しなければならない。よつて進んでこの点につき審究するに、証人山本保の証言によれば、同証人は、昭和二二年城東村農地委員会の委員として本件土地についてのいわゆる一筆調査を担当したが、その方法として前記のように本件土地については各筆毎に現地を特定して調査することが困難であつたため、耕作者である山本貞吉に原告所有土地の全範囲を指示せしめてこれを調査したところ、本件土地内を南東から北西に向け本件土地の途中まで走つている堤塘(別紙図面(へ))と本件建物を結び、これを延長した線と本件土地の西南部を流れる小川との間の土地は、一部草原を耕作し、一部樹木の間の土地を耕作する等、右部分の土地が耕地たる状況を呈しており、また右の線から反対側の白田川にいたる部分の土地には、よしや雑木が生い茂り、埋石等も存在していたが、その間点々として耕作されて畑となつたものがかなりの面積存在し、全体としてみれば耕地部分が非耕地部分より多くを占めているのみならず、右非耕地部分もこれを昔の耕地に復原することが不可能ではないと考えられ、また本件建物は当時居住の用に供せられている形跡がなく、井戸、電灯の設備もなくてその構造設備上とうてい居住のための建物とは認め難く、単なる農器具、収獲物等の格納所にすぎないものと認められたので、その敷地をも含めて本件土地全体を自創法にいわゆる農地と認め、その旨の調査書を作成した旨証言している。しかして本件土地中前記堤塘と本件建物を結ぶ線から小川にいたる部分の土地の状況については、証人秋永能雄、同横山照蔵、同横山嘉吉もほぼ右山本証人の証言と同趣旨の証言をしており、他にこれが反証はないので、右証言内容をもつておおよそ真実に合致するものと認めてしかるべきものと思われるが、右の線から反対側の白田川にいたる部分の土地の状況については、上記山本証人の証言に対し前掲秋永証人は、よしがかなり繁く茂つており、その間に畑らしいものがあつたと思うが、その割合は明らかでない旨証言し、横山照蔵証人は、小さな畑がチヨボンチヨボンとあつて耕作しておつたけれども、雑草が繁茂していて外からはよく見えない状態であつた旨証言し、また横山嘉吉証人は、右土地部分には埋石が相当あり、よしや雑草が繁茂していたが、除去の可能な比較的小さな石を片づけた跡やよし、雑草の間の砂地の部分に多少の土寄せをしてこれを畑として芋等を貞吉夫婦が栽培していたが、老人夫婦の仕事であるから開墾らしい開墾もしないで右のように多少の土寄せをして畑としていた程度で、このような小さな畑が右土地のところどころにボツボツあつたが、全体としてみれば荒地の方が多く、自分らも右土地に馬の飼葉にするため草刈りに行つていた状況であつた旨証言しており、その間必ずしも一致するところがなく、これらの証言からは直ちに確たる事実を把握することは困難である。しかしながら、(イ)成立に争いのない甲第九号証の一、二および前掲山本証人の証言によれば、前記城東村農地委員会が一筆調査に先き立つて各耕作者から徴した報告に基づいて作成された農地現況調査表によれば、山本貞吉は、原告所有の土地中自己の小作する耕地面積を五畝歩と申告していることが認められるところ、上記認定の事実、前掲甲第七号証および検証の結果と対比して考えるときは、右は山本貞吉において前記堤塘と本件建物を結ぶ線から小川に至る部分に存在する同人の耕作土地部分のみをとりあげて申告したものと思われ、右事実から推すときは、同人は、右線から反対側の部分に存在する若干の畑については特にこれを申告に値する土地とは考えていなかつたものと推察されること(被告山本両名各本人尋問の結果によれば、一般に耕作者が各耕地面積を申告するについては、いわゆる供出義務量を少なくするために控え目にこれを申告するのがならわしであつたとのことであるが、前記農地現況調査は右の供出とは全く無関係に、むしろ農地買収の準備としてなされたものであるから、貞吉がことさらに耕地面積を過少に申告したものとは考えられず、また成立に争いない甲第一六号証によれば、山本貞吉は、昭和二三年七月二日以降昭和二七年一二月二二日までの間において農作物の耕作に関し、作付面積および農作物の種類についてなんらの申告をしていないことが認められるのである。)、(ロ)証人杉原嘉堅の証言によれば、同人が本件建物に居住するようになつた昭和三〇年四月頃においては、右建物の裏側白田川に至る部分の土地には、よし、女竹、雑木、雑草等が同建物の軒近くまで繁茂し、全くの荒地の様相を呈しており、これを開墾して耕地とするには相当大きな労力を必要とし、しかもその効果も多くを期待することができない状態であつたことが認められ、証人杉山勇の証言によつて昭和三四年三月二六日当時の本件土地の状況を撮影したと認められる甲第一一号証の六ないし八によれば、右当時の右建物の裏側白田川にいたる部分の土地には雑草や雑木や石塊が散在し、耕地らしきものを認め難い状況であることが認められ、さらにまた成立に争いのない甲第一三号証、証人杉山勇、同杉原嘉堅の各証言および被告山本両名各本人尋問の結果ならびに検証の結果とによれば、昭和三四年三月頃被告山本利八において本件土地内の桜樹三本を切りたおしたのを始めとして、被告山本らは、同年九月から一一月頃にかけて本件土地内の樹木、大きいのは直径六二糎、小さいのは直径一三糎ぐらいのものを一〇数本切りたおして本件土地の整備に着手し、よしや雑木を除去し、石はまとめて本件土地内に畦畔状に積み重ねるなどして本件土地の耕地化をはかり、昭和三四年一二月七日本件土地につき原告が現状変更禁止の仮処分をした時には本件土地中ほぼ一五〇坪ぐらいに麦が作付され、その後昭和三五年六月二五日頃にはさらに一八〇坪に農作物が作付され、当裁判所の検証当時には全体として畑たる様相を呈するに至つたが、それにもかかわらず上記土地内にはかなり大きな埋石や掘り出された石が畑の中に散在し、土質も粒子の粗い砂状のものであることが認められ、これらの事実を綜合すると、本件土地中上記部分の土地は、その開墾について相当多くの労働力を要し、しかもなお必ずしも畑地として多くの収獲を望み難い土地であり、また少しく手入を怠ればたやすくもとの荒地の状態に復するような土地であることが窺われること、(ハ)成立に争いのない甲第八号証の一、二と証人斉藤徳司、同山田儀裕、同杉山勇、同持田良吉の各証言をあわせると、原告の父持田良吉は、本件土地が農地として買収の対象となるがごときは夢想だにせず、昭和二五年五、六月頃に至つて戦後の混乱もおさまつてきたのでぼつぼつ本件土地に温泉を掘ることを思い立ち、知人である訴外亡宮城彦治とともに城東村役場において調査した結果、本件買収の事実を知つて大いに驚き、右宮城にその後の処置を委任し、宮城は同村農業委員会に買収除外の申請書を提出して本件土地の再調査を求めたところ、同委員会においても一応再調査しようということになつて、委員三名が調査員として現地に赴き、宮城および山本貞吉もこれに立ち合つたが、その際宮城と貞吉の間に買収に係る土地を原告と貞吉の間で折半することに話合いができたので、右調査員としては格別結論を出すことなく単に委員会に対し右話合いの成立を報告するにとどまつたが、その後宮城と貞吉の間に折半についての具体的な話合いがなされることもなく推移するうち貞吉は昭和二七年一二月二二日に死亡し、宮城も持田良吉に右事実を報告しないまま間もなく病を得て昭和三〇年頃死亡し、右の話も立ち消えとなつてしまつたことが認められること、以上(イ)ないし(ハ)に認定した事実とさきに(二)において認定した事実ならびに山本貞吉が本件土地を耕作するにつき原告から承認を得ていた事実は本件にあらわれたいかなる証拠からも認め難い点をあわせると、本件土地中堤塘と本件家屋を結ぶ線から白田川に至る間の土地の耕作状況に関する上掲証人山本保、同秋永能雄、同横山照蔵、同横山嘉吉の各証言の中では、横山嘉吉証人の証言が最も信憑しうるものと考えられるのであつて、結局昭和二三年六月当時における上記土地部分の状況は、全体として荒地の様相を呈し、その間ところどころに老令の山本貞吉夫婦が食糧難の折柄これを補給するため一時的に自己らの手のみで比較的簡単に除去しうる石塊や雑草等を除去した部分に格別の開墾を施すこともなく簡単な土寄せをしてきわめて小さな畑の形とし、そこに芋等を栽培しており、かかる点在する畑の部分は全般的にみれば比較的僅かな面積を占めているにすぎないものであつたと認めるのが相当である。証人山本保の証言および被告山本両名各本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用し難く、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

(三)  次に本件建物の敷地部分については、前掲証人山本保の証言によれば、上記のように右建物はこれを単なる農器具や収獲物の格納所にすぎない農地の付属物と認めて右敷地部分をも含めて本件土地の全体を農地と認定して本件買収が行われたことが認められるが、証人杉山幸次郎、同杉原嘉堅、被告山本両名各本人尋問の結果と検証の結果によると、本件建物は間口七・四五米、奥行五・三米で、座敷、便所、物置から成り、台所、便所、物置の部分の屋根はトタン葺であるが、その他は瓦葺であつて、貧弱ながら一応住居としての体裁を有しており、電灯の設備や井戸等はないけれども、現に前記杉山幸次郎が本件土地を所有していた当時これに寝泊りしたことがあり、また戦時中被告山本両名の姉にあたる訴外金川玉枝が一時居住したこともあり、昭和三〇年四月以降は前記杉原嘉堅夫婦が一部を改造して現在まで居住する等、当初から物置ではなく住居のために建てられ、それに応じた構造を有し、かかる用途に利用せられたこともあるものであることが認められ、右事実によれば、本件建物は単に農地の付属施設としてのみ価値を有するにすぎないものではなく、それ自体独立した効用と価値を有する一個の家屋であると認めるのが相当であるから、その敷地も独立した宅地たる性質をもつものと認めざるをえないというべきである。

(四)  以上(一)から(三)までに認定したところを総合して考えるときは、本件土地中堤塘と本件家屋を結ぶ線から本件土地の南西に流れる小川に至る間の部分の土地はその大半が耕地となつていることにかんがみこれを全体として農地と認定することも可能であるとしても(右土地部分の耕作についても、本来納税管理を委任されたにすぎない山本貞吉が原告から格別の了解を得ないまま食糧補給のための一時的な措置としてこれを耕作したにすぎないと認められる点において、果してこれを自創法にいわゆる耕作の目的に供される土地となしうるかどうかに疑問があるが、仮にこの点を不問に付するとしても)、本件建物の敷地部分は宅地であり、また上記の線から反対側の白田川に至る部分の土地は、上に認定したようにその大半が荒地であり、点在する幾つかの畑もきわめて小規模の恒常性をもたないものであつて、全体として農地とはとうてい認め難い土地であり、しかも検証の結果によれば後者の土地部分が前者の土地部分に比し二倍に近い面積を有すると認められることを考えると、前者の部分の土地のみを他と切り離してこれを農地として買収するなら格別、その全部を合して本件土地を全体として農地と認め、これを買収するがごときは、とうてい違法たるをまぬがれず、その違法は重大であり、かつ、上記認定の諸事実に照らすときは、右違法は客観的にも明白であつたといわなければならない。

四  のみならず、前記山本貞吉が本件土地の耕作について原告の承認を得た事実のないことは上記のとおりであるところ、前掲証人山本保の証言によれば、前記城東村農地委員会は、山本貞吉が本件土地の公租公課、農業会費等を原告のために支払つているという申立てのみに基づいて同人が適法に本件土地の耕作権を有するものと速断してそれ以上になんらの調査を行なうことなく本件買収計画を定めたものであることが認められるのであつて、同委員会においてその職務上当然になすべき調査を行なつたとすれば、上記無権限耕作の事実を容易に知りえたものと考えられるから、本件買収処分にはこの点においても重大かつ明白なかしがあり、結局無効たるをまぬがれない。したがつて、本件買収処分が有効であることを前提とする本件売渡処分もまた無効である。

第三時効の抗弁について

よつて進んで時効の抗弁につき考えるに、被告山本両名の先代山本貞吉が本件土地を所有の意思をもつて占有を開始した始期は、右貞吉に対して本件土地の売渡処分がなされた時であると解すべく、同人に対して売渡令書が交付されたのが遅くとも昭和二三年一二月中であつたことは原告の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなすべく、したがつて取得時効の期間も昭和二四年一月一日から起算するのを相当とするところ、右被告らは、右貞吉の占有はその開始当時において善意かつ無過失であり、その後平穏公然に占有を継続し、同人の死亡後は遺産相続人たる右被告ら両名においてその占有を承継し、以来同様に平穏公然に占有を継続しているから、一〇年の期間経過とともに本件土地の所有権を取得した旨主張するけれども、本件買収処分当時における本件土地の状況が前記認定のとおりであること、および右土地の一部の耕作が無権原耕作であつたことはいずれもその当時前記山本貞吉の知悉しているところであるから、同人は本件土地の売渡しを受けた当時その前提をなす本件買収処分が自創法の規定に違反し、あるいは無効と判断されるべきものであることを知つていたか、あるいは少なくとも知りうべかりし状態にあつたものというべく、その所有の意思をもつて占有を開始した当時において善意無過失であつたということはできないから、取得時効の期間は一〇年ではなく二〇年であり、前記昭和二四年一月一日から起算して未だ右二〇年の期間は経過していないから、被告らの上記時効による所有権取得の抗弁は理由がなく、排斥をまぬがれない。

第四いわゆる権利自壊の抗弁について

最後に、被告山本両名は、本件土地が現況農地でありもし本件買収売渡処分を無効にするならば、結果的には不在地主の所有する農地を現出し、かつ、被告山本両名の耕作権を不当に侵害し農地法の精神に反した結果を生ずることになるから、原告の本訴請求は許されないと主張するが、本件のような事実関係のもとでは、右被告らの主張するごとき理由によつて原告の所有権の主張行使が許されないと解すべき根拠はないというべきであるから、上記主張はそれ自体において理由がない。

第五結論

以上の次第で、本件買収および売渡処分はいずれも無効であり、本件土地の所有権は依然として原告に帰属するものというべきであるから、被告らに対しその所有権の確認、前記各所有権取得登記の抹消登記手続、および被告山本両名に対し本件土地の引渡しを求める原告の請求は理由があり、これを認容すべきである。よつて訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用してこれを被告らの負担とし、なお仮執行の宣言の申立ては相当でないからこれを却下することとし主文のとおり判決する。

(裁判官 位野木益雄 中村治朗 清水湛)

別紙

第一物件目録

静岡県加茂郡東伊豆町白田字馬場三二〇番の一の八

第二物件目録

(一) 静岡県加茂郡東伊豆町白田字馬場三二〇番の三一

一、畑 二畝一四歩

(二) 同所 三二〇番の五三

一、畑 七畝一二歩

一、畑   三畝歩

(三) 同所 一二〇番の五六

一、畑   二〇歩

第三物件目録

(一) 静岡県加茂郡東伊豆町白田字馬場三二〇番の五

一、田   二二歩

(二) 同所 三二〇番の六

一、田 一畝二一歩

(三) 同所 三二〇番の一五

一、田    五歩

(四) 同所 三二〇番の一六

一、田    四歩

(五) 同所 三二〇番の一七

一、田    八歩

(六) 同所 三二〇番の四四

一、畑    三歩

(七) 同所 三二〇番の四五

一、畑   二〇歩

(八) 同所 三二〇番の五四

一、畑   四畝歩

(九) 同所 三二〇番の五五

一、畑   二畝歩

(一〇) 同所 三二〇番の四

一、田   二二歩

図面〈省略〉

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